宇都宮家の人物を追加。

登場するのが遅いですが、宇都宮公綱は特に重要人物ですね。南北朝の争いも作ってみたいなあ。

  • 宇都宮家

・宇都宮成綱:生没年1156-1192年。宇都宮朝綱の子。
・宇都宮頼綱:生没年1172-1259年。宇都宮成綱の子。1189年の奥州藤原氏討伐で功績を挙げたが、土佐国流罪。その後に許されて畠山重忠事件では北条氏側に与して功を挙げた。1221年の承久の乱では、鎌倉の留守を務めた。藤原定家と親交を結んでいる。
・宇都宮頼業:宇都宮頼綱の子。1305年に北条宗方を誅殺した。
・宇都宮泰綱:生没年1203-1261年。宇都宮氏第六代当主。宇都宮頼綱の子。1238年、将軍・九条頼経に仕えて上洛し、下野守に叙任された。その後も評定衆の一人に任じられ、美濃の守護職も与えられるなど、幕政で重きを成した。歌人としても優れており、玉葉和歌集続拾遺和歌集には泰綱の作品が数多く修められている。
・宇都宮経綱:宇都宮泰綱の子。
・宇都宮景綱:生没年1235-1298年。宇都宮氏第七代当主。宇都宮泰綱の子。1252年、宗尊親王の家臣として幕府に仕える。その後も下野守に叙任され、引付衆評定衆に任じられるなどして、幕政の中でも重きを成した。歌人としても優れた才能を持っていた。
宇都宮貞綱:生没年1266-1316年。正式な名のりは藤原貞綱。宇都宮氏第八代当主。宇都宮景綱の子。1281年の元寇弘安の役では執権・北条時宗の命を受けて九州に出陣。その功績により戦後、引付衆の一人に任じられた。
・宇都宮公綱:生没年1302-1356年。宇都宮氏第九代当主。宇都宮貞綱の子。元弘の乱の1333年1月、北条高時の命を受けて上洛し、摂津国四天王寺にて官軍側の名将・楠木正成と戦った。やがて後醍醐天皇の綸旨を受けて官軍側に寝返った。幕府滅亡後の建武の新政下では雑訴決断所の奉行職を務めた。1335年の中先代の乱後に足利尊氏後醍醐天皇から離反すると、公綱は尊氏軍と戦ったが敗れ、翌年に尊氏に降伏してその家臣となった。しかし尊氏が九州に落ちると再び天皇のもとに帰参する。その後は北畠顕家のもとで各地を転戦し、顕家の死後も東国における南朝側の中心勢力の一人として活躍し、後村上天皇からも厚い信任を受けた。和歌にも優れた才能を発揮し、新続古今和歌集には公綱の作品が修められている。