マニ教


Wikipediaによれば、マニ教(摩尼教、Manichaeism)は、ササン朝ペルシャのマニ(210年 - 275年ごろ)を開祖とする宗教で、ユダヤ教ゾロアスター教キリスト教グノーシス主義などの流れを汲みます。

12−14世紀のマニ教の痕跡を調べてみました。元朝は宗教に寛容であったため、泉州と温州を中心に信者を広げていたそうです。マニ教(明教)と弥勒信仰が習合した白蓮教は、元末に紅巾の乱を起こし、明代に明教は厳しく弾圧され、15世紀には姿を消しました。

中央アジアにおいては、高昌やサマルカンド、トゥルファンなどの砂漠のオアシス都市に細々と存続しましたが、13世紀頃には中央アジアからはマニ教の痕跡は消えたそうです。

ヨーロッパでも「マニ教的伝統」が長く残り、ブルガリアで10世紀から12世紀にかけて繁栄したボゴミル派、南フランスのラングドック地方で13世紀頃まで栄えたカタリ派などが存在し、「正統教会」から「マニ教的異端」の烙印を押され弾圧され、滅ぼされています。

シナリオでは中央アジアと温州近辺に「マニ教徒」を配置してみました。