アラニ族


Wikipediaによれば、アラニ族はアラン人(Alans,アラン族)とも呼び、カスピ海北岸を中心に活動していたイラン系(特にサルマタイ系とされる)遊牧民族です。

アラン人は紀元前1世紀頃にカスピ海北岸からウクライナステップ地帯にいたサルマタイから分かれたとされている。中国では奄蔡(えんさい)、阿蘭と呼ばれた。 紀元1世紀以降にサルマタイに代わって南ロシアのステップ地帯を支配するようになり、ドナウ川を越えてローマ帝国やパルティアに侵入(134年頃)し、略奪を行っていたようである。372年、フン族によってアラン人は征圧される。その後、一部はカフカスに南下しアラニアを建国した。またフン族と共に西に移動した一部はハンガリーに定着し、ヤース人と呼ばれるようになった。

ラニアは、8〜9世紀の間にハザールの支配下に入ったが、9〜10世紀に再び独立した。東ローマ帝国との交流も盛んで、交流によりキリスト教が国内で普及した。 しかし13世紀初めにモンゴル人の侵入に遭い、アラニアは消滅。現在の北カフカスのオセット人はアラン人の末裔とされている。

本来なら、コーカサスに「アラニア」を配置すべきでしょうが、詳細な位置が分からないため、カスピ海北岸に置いて隣接しているクマン族とカフカス諸族と不戦同盟を結ばせました。

ついでですがカフカス諸族のクリム族とチェルケス族は別勢力しにした方が良いでしょうか?