元寇の敦賀上陸の可能性

2chの「元寇」スレッドに以下のようなコメントが。

56 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2014/11/20(木) 14:48:14.87 0
太平記の、元寇に際し東山道北陸道の兵が敦賀を固めた?とか記載見たけど、若狭湾上陸からの京都攻略は、地図・海図も怪しい時代では無理だったろうね。

長い海路での騎馬輸送も困難。特に江南軍なんて若狭湾に来るまでが過酷。渤海使のルートもえらい大変だったようだし、当時の船で対馬海流に逆らう帰路がさらに厳しいと考えると、日本海側の攻略は厳しい。

57 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 16:03:58.81 0
敦賀からの琵琶湖までの陸路も、地理を知らない大軍が簡単に行軍できなさそうな隘路

13-14世紀の日本海の海路について考える一助に。

古代朝鮮半島三国史

2chの古代朝鮮半島三国史から以下引用。

6 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:03:28.16 O.net
今、放送されている韓国時代劇は、コリョ

9 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:32:49.44 0.net
>>6
このスレに関係するものでは
朱蒙 (高句麗)
善徳女王 (新羅)
階伯(百済)
広開土太王(高句麗)
鉄の王キムスロ(金官伽耶(弁韓))
百済の王 近肖古王(百済)

こんなとことかな?

10 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:39:33.74 0.net
>>9
風の国高句麗
幻の王女 チャミョンゴ(高句麗
ヨンゲソムン(高句麗
大祚榮(渤海
薯童謡(百済

チョーラ朝

【名称】チョーラ家→チョーラ朝 【期間】846年頃〜1279年
【本拠】首都:タンジャーヴール→ガンガイコンダチョーラプラム。 
【家祖】ヴィジャヤーラヤ

【概要】チョーラ朝(Chola dynasty)は、9世紀から13世紀にかけて、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝。

チョーラ家のヴィジャヤーラヤ(在位846 - 871)は、パッラヴァ朝パーンディヤ朝と抗争を繰り返す過程で勢力を拡大し、846年頃にパッラヴァ朝の封臣ムッタライヤル家からタンジャーヴールを奪って本拠とした。

(出所)http://www.geocities.jp/me2hero_jp/keifu/s_asia/s_india2.html#chola


1189年のゲームスタート時で以下のような勢力配置にしてます。

当面は、南のパンディア家に当たることになりますが、人材と兵力が不足しているので、軍備を増強しながらになりますかね。

カルナータカの勢力図

1189年のゲーム開始時には、このようになってます。

東部のチョーラ朝と西部のホイサラ朝が不戦同盟を結び、南部のパンディア家と対抗する構図です。

パンディア朝成立やホイサラ朝分裂などのイベントも仕込んでみましたが、パンディア朝が史実通りなかなか伸びてくれない。

インドの詩人たち

近頃、自分の中で南インドブーム。ちまちまシナリオを弄ってます。しかし、インドは情報収集が難しいですね。

忘備録として、某掲示板の情報をコピペ。7割は入力済み。

936 :818:04/07/02 20:14
インドの人物は詩人ばかり。

ラズィーヤ ?―1240 奴隷王朝五代女王
クトゥブッディーン・アイバク ?―1210 王
アラーウッディーン デリー諸王朝のハルジー朝第2代王
バルバン デリー諸王朝最初の奴隷王朝の王  ?―1287
イルトゥトミシュ ?―1236 奴隷王朝第3代王
フィールーズ・シャー ?―1296 デリー諸王朝のハルジー朝創始者
マリク・カーフール 生没年不詳 アラー・ウッディーンに仕えた武将
モハンメッドゴーリー ?―1206 ゴール朝王

アミール・ホスロー 1253―1325 詩人
ファリード・シャカルガンジュ 1173―1266 ペルシア語詩人
ドゥニャーネーシュワル 1275―1296 宗教詩人
ガンゲーシャ 論理学者  1200頃
ギャーネーシヴァル 詩人 1271―1296 
ジュニャーネーシュワル 1275―1296頃 詩人
ケーシャバミシュラ 13世紀頃 学者
コークコーカ 13世紀頃 文学者
コーナ・ブッダラージャ 13世紀 詩人
マドヴァ 1197―1276 哲学者
マドバ 1238―1317 哲学者
メーイカンダデーヴァ 13世紀 哲学者
ムイーヌッ・ディーン ?―1236 聖者
ムイーヌッ・ディーン ?―1236 聖者
ナームデーオ 1270―1350 詩人
パヴァナンディ 12世紀―13世紀 ジャイナ教
シャークヤシュリーバドラ 1127―1225密教
サールンガデーヴァ 1210―1247 音楽家
テーラ 13世紀 セイロン島の文学者
ティッカナ 13世紀 詩人
ヴェーダーンタ・デーシカ 13世紀 学者


(出所)大草原の覇者チンギスハーン総合スレッド9

アサル朝スコットランド

【名称】アサル朝スコットランド 【期間】1001-1286年
【本拠】 【家祖】ダンカン1世(Duncan I)

【概要】ダンカン1世(Duncan I)を国王とするスコットランドの王朝。1001年に成立したが、1040年8月14日にダンカン1世がマクベスに殺害されて終わった。

系図
?ダンカン1世(1001-1040)
┣?マルカム3世カンモー(1031-1093)
┃┣?ダンカン2世(1060-1094)
┃┣エドワード(?-1093)
┃┣エドマンド(?-?)
┃┣?エドガー(1074?-1107)
┃┣?アレグザンダー1世(1078?-1124)
┃┗?デーヴィド1世(1080-1153)
┃ ┣マルカム(夭逝)
┃ ┗ヘンリー(1114?-1152)
┃   ┣?マルカム4世(1142-1165)
┃   ┣?ウィリアム獅子王(1143-1214)
┃   ┃┗?アレグザンダー2世(1198-1249)
┃   ┃ ┗?アレグザンダー3世(1241-1286)
┃   ┗デーヴィド(1143?-1219)
┃    ┗チェスター伯ジョン(?-1237)
┗??ドナルド3世(1033-1097)

(出所)「世界帝王事典」

プランタジネット朝

【名称】プランタジネット朝 【期間】1154‐1399年
【本拠】ガティネ (Gatinais) 【家祖】ヘンリー2世

【概要】ヘンリー2世からリチャード2世に至る8代245年に及ぶイングランドの王朝。王朝名はヘンリー2世の父アンジュー伯ジョフロアが冑に常時挿していたエニシダのラテン名planta genistaに由来する。別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。

プランタジネット朝スティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。

系図

①ヘンリー2世(在位:1154年-1189年)
┣①若ヘンリー(共同国王、在位:1170年-1183年)
┣②リチャード1世獅子心王、在位:1189年-1199年)
┣ジョフロワ2世(ブルターニュ公)
┗③ジョン(欠地王、在位:1199年-1216年)
 ┣④ヘンリー3世(在位:1216年-1272年)
 ┃┣⑤エドワード1世(在位:1272年-1307年)
 ┃┃┣⑥エドワード2世(在位:1307年-1327年)
 ┃┃┃┗⑦エドワード3世(在位:1327年-1377年)
 ┃┃┃ ┣エドワード黒太子
 ┃┃┃ ┃┣⑧リチャード2世(在位:1377年-1399年)
 ┃┃┃ ┣ライオネル・オブ・アントワープ
 ┃┃┃ ┣ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター家)
 ┃┃┃ ┣エドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク家)
 ┃┃┃ ┗トマス・オブ・ウッドストックグロスター公)
 ┃┃┣トマス・オブ・ブラザートン
 ┃┃┗エドマンド・オブ・ウッドストック
 ┃┗エドマンド・クラウチバック
 ┗リチャード(コーンウォール伯)

(出所)
http://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D