武蔵安達家

【名称】武蔵安達家 【期間】
【本拠】上野、武蔵、出羽 【家祖】安達盛長


【概要】鎌倉幕府の有力御家人の氏族。藤原氏魚名流を称する。

祖の藤九郎盛長は、平治元年(1160年)の平治の乱に敗れ伊豆国流罪となった源頼朝の従者として仕え、頼朝の挙兵に伴い各地の坂東武士団の招集にあたり、鎌倉幕府の樹立に尽力した。盛長の父は『尊卑分脈』魚名公孫によれば小野田三郎兼広であるが、新訂増補国史大系の底本である前田家所蔵林家訂正折本によれば、小野田三郎兼盛とある。盛長は『尊卑分脈』魚名公孫によれば、足立六郎小野田藤九郎と称している。盛長以前の家系は系図によって異なり、はっきりしないが、盛長は藤原邦通や平家の筑前房良心など京都の人物と深い繋がりを有しており、藤原氏の末流を称していた。『源平闘諍録』には藤原伊尹の末裔とする記述がある。

系図

安達盛長┳景盛┳松下禅尼
    ┗時長┗義景┳頼景
          ┣大室三郎
          ┣泰盛┳宗景
          ┃  ┗盛宗
          ┣時盛━時長
          ┣重景
          ┣顕盛━宗顕
          ┣長景━宗長
          ┣時景
          ┗公義

<出所>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E6%B0%8F

蒼き狼1189『草原を駆る狼』軽量版(ver0.006)ではこんな感じで配置してます。鎌倉政権にとって奥州藤原家への先兵になる位置づけになります。

信濃平賀家


【名称】信濃平賀家  【期間】
【本拠】信濃国佐久郡平賀邑 【家祖】平賀盛義
【概要】信濃国を本領とした清和源氏義光流の一族。

新羅三郎義光の子盛義が佐久郡平賀邑を有したことに始まり、子の平賀義信の代に、源氏御門葉として、また御家人筆頭として隆盛を誇ることになる。

系図

源盛義(平賀家)
├有義
│├資義(越後金津家)
│├有資
│└有延
├安義(佐々毛家)
├義信
│├惟義(伊賀大内家)
│├朝雅
│├朝信
│├隆信
│└景平(安芸小早川家)
├義広
├義澄
├敦義(犬甘家)
└覚義

(出所)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%B0%8F

大江家

大江広元の家系について下調べ。のちの毛利家につながる。


大江広元(1148−1225年)は、平安末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した。

大江広元(1148-1225)
┣大江親広(?-1242)
┃┣大江高光
┃┣大江佐房
┃┃┣上田佐泰
┃┃┃┗泰広(1264-1285)
┃┃┃ ┣盛広
┃┃┃ ┗泰元
┃┃┣大江佐時
┃┃┃┣大江次郎太郎広次
┃┃┃┣大江佐次郎広宗
┃┃┃┗大江四郎宗房
┃┃┗上田長広
┃┃ ┗佐長
┃┃  ┗光佐
┃┣大江広時
┃┃┣大江政広
┃┃┃┣大江元顕
┃┃┃┃┣大江元政
┃┃┃┃┣大江懐広
┃┃┃┃┗大江顕広
┃┃┃┣小沢広顕
┃┃┃┃┣小沢貞広
┃┃┃┃┣小沢親顕
┃┃┃┃┣小沢懐顕
┃┃┃┃┗小沢政顕
┃┃┃┣古河親元
┃┃┃┗大江公広
┃┃┣大江親政
┃┃┗大江重祐
┃┣大江隆元
┃┗大江隆時
┣長井時広(?-1241)
┃┣長井泰秀(1212-1254)
┃┃┗長井時秀
┃┃ ┗長井宗秀(1265-1327)
┃┣長井泰重
┃┣長井泰元
┃┣長井泰茂
┃┗長井泰経
┣那波宗元
毛利季光(1202-1247→毛利家)
┣海東忠成(?-1265)
┣尊俊
┗水谷重清

<出所>http://reichsarchiv.jp/">Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜

それにしてもブログで系図をきれいに表示させるのは、なかなかに難しい。

大江広元の顔画像は、「NIGAOE MAKER」で作成してみました。当然ですが、中世の人材の顔を作成するのは部品が用意されていないので、なかなかに難しいです。

「平三直宗」

【鎌倉北条氏】〜その門流・子孫・残党・被官〜
812 名前:日本@名無史さん 投稿日:2014/04/30(水) 01:41:27.01

鎌倉幕府の正史である吾妻鏡に「平三直宗」って熊谷直実の孫が出てくる

直実の本流と看做され勝ちな芸州熊谷のほうは名前すら出てこないのに。この「平」が仮冒だとしたら、平盛方から代数が近すぎないか盛方ー直貞ー直実ー直家ー直宗

直実の段階でどこの馬の骨とも知れぬ血筋ってみんな知ってたなら直宗になっていきなり平氏ですって公認されんだろ

直実は盛方の孫だよ、捏造するならもっと遠い子孫にしないとバレバレだろ

927 名前:日本@名無史さん 投稿日:2014/05/17(土) 22:06:58.57

■有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所

平安時代鎌倉時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は愛知県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む

■家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖に源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼

リンク元http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1349401762/

エヴェンキ

*[北アジア]エヴェンキ


【名称】エヴェンキ  【期間】
【本拠】トゥラ(1930-) 【家祖】
【概要】ツングース系民族の一つで、主にロシア国内のシベリア連邦管区にあるエヴェンキ自治管区に居住する。ほか、ロシア国内ではサハ共和国などにも居住し、中国国内でも興安嶺山脈周辺の内モンゴル自治区黒竜江省などに居住している。「エベンキ」とも表記される。
 民族を代表する生業は狩猟とトナカイ遊牧で、狩猟では皮革採取や肉・内臓の食用のために鹿類、テンなどが捕獲の対象である。狩猟の際の移動にはトナカイに騎乗し、トナカイで荷物も運搬する。 交配のための種雄を除き、雄のトナカイには去勢を行なう。トナカイはそのほか、乳飲用に利用するほか、その肉・内臓・血を食用・飲用とし、中国では漢方薬として袋角採取も行う。基本的にトナカイの飼育・管理は女性の仕事であり、男性が狩猟に専念しやすくなっている。
 伝統的な住居はオロチョン族と同様、比較的細い白樺などの幹を何本も組んで、その外部をトナカイ等の毛皮、または夏には樹皮で覆った円錐形の天幕式住居である。現在では定住化のため、ベースとなる住居は近隣のロシア人や漢族と同様のものだが、狩猟や、地衣類の豊富な場所へのトナカイの移動で、ベースの住居を離れねばならない場合、伝統的な天幕式住居またはその他のテントを設置して野営する。

クライシュ族

*[中東]クライシュ族

【名称】クライシュ族 【期間】
【本拠】メッカ 【家祖】クライシュ

【概要】イスラム勃興期、メッカに住んでいたアラブ部族。
 北アラブ系のキナーナ部族の支族で、預言者ムハンマドを生み,彼の11代前の祖先クライシュを共通の祖先としていた人々。5代前の祖クサイイがカーバの管理権を奪い,近親者をメッカに定着させてから部族としてのまとまりをもつようになる。
 3代前の祖ハーシムHāshimの時代に遠隔地隊商貿易の組織化に成功し,祖父の時代に南アラビア軍の攻撃からメッカの聖域を守り、以後急速に発展する。

大理国

【名称】大理国(dàlǐguó)  【期間】937-1253
【本拠】大理  【家祖】段思平

【概要】937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。
 君主は終始国内的には皇帝号を称していたが、後大理国時代の1117年に北宋より「雲南節度使大理国王」に冊封もされ、対外称号と国内称号を使い分けている。1253年にモンゴル帝国雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員としての地位を保ち続けた。
 1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は中国に併合され、南詔以来の独立国家の歴史はここに終った。
 首都は大理。


大理国
 段保隆┳1思平━2思英━ ??━ 思恩━11思廉┳12廉義
    ┃                   ┣ ??━13寿輝
    ┃                   ┗ ??┳14正明
    ┃                             ┗ 正淳(後大理へ)
    ┗3思良━4思聡━5素順━6素英┳7素廉━ ??━9素真━ ??━10素興
                    ┗ ??━8素隆
(出所)林謙一郎「大理国史研究の視角」http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/9828/1/%E6%9E%97%E2%80%90%E5%A4%A7%E7%90%86%E5%9B%BD.pdf