旧版シナリオ

旧版

今後、SE版に対応させるためにベースとなる旧版シナリオを置いておきます。
いずれのシナリオも、『蒼き狼』専用の本体が必要です。一緒にダウンロードしてください。海路とか山路などはありませんが、結構遊べると思います。今思うと荒い作りのシナリオだけど、作業量だけで勝負してます。『戦国史』に一番はまっていた時に勢いだけで作り上げました。ところで1218年のシナリオタイトルが『破壊の胎動』となっており「狼」は関係なかったりしますね。SE版では修正したいなあと考えてます。以下、各シナリオの導入を紹介しておきます。SE版を作成する前に、ご意見頂けると嬉しいです。

12世紀後半、戦乱の打ち続くモンゴル高原でテムジンという若者がハーンに推戴された。テムジンは宿敵ジャムカとの戦いに勝利してモンゴル高原に覇権を確立し、チンギス=ハーンを名乗るようになるのである。一方、西方ではキリスト教国による聖地奪回運動が激化し、獅子心王リチャードらの率いる十字軍とイスラムの英雄サラディンが聖地エルサレムを巡り衝突を繰り返していた。まさにユーラシア全体が各地の英雄達による戦乱の渦に呑み込まれようとしていた。

ヨーロッパでは引き続き十字軍が派遣されていたがその矛先はコンスタンティノープルに向き、一時ビザンティン帝国の代わりにラテン帝国を建国するなど、宗教的な目的とはずれていた。そのころ中央アジアでは1200年以降、ホラズム帝国がペルシア、中央アジアへ領土を拡大、インドではゴール朝のムハマンド=ゴーリーが暗殺されて分裂。初のイスラム王朝となるデリー=スルタン王朝が成立した。そのころ北方アジアでは、遼、金と北方民族の王朝が続き、モンゴルでも氏族間の争いが激しくなり、部族の統合化が進みはじめていた。そのような情勢を背景としてモンゴルはテムジンをハーンへ推戴する。

チンギス=ハーンは周囲の諸部族、すなわちメルキト部、オイラート部、ナイマン部、そしてウイグルを征討し、遊牧民族国家として、西夏、金への圧迫をはじめる。金との戦いの中で、次第に契丹人、漢人を包含し、こうした東方攻略の一方で、西方へも勢力を拡大しはじめていた。一方中央アジアでは、ホラズム帝国がゴール朝を滅ぼし、アッバース朝領にも足がかりを確保していた。その折、モンゴルの隊商がオトラルで殺害されたとの報がチンギス=ハーンのもとに届くが。

13世紀前半、偉大なるモンゴルの指導者チンギス=ハーンが病没。チンギス=ハーン死してなお、モンゴルの勢いはとどまるところを知らなかった。新たなるハーン・オゴタイは、父の遺業を継ぐべく、精鋭の騎馬軍団を大陸の四方に放ったのである。ユーラシアにひしめくあまたの国々は、草原を疾走する馬蹄の響きに、再び飲み込まれようとしていた。

チンギス=ハーンの第三子オゴティは耶律楚材などを登用し、帝国の体制を整える一方、バトゥを 欧州征討に派遣するなど領土的にも拡大したが、1241年に死去した。その妻トゥラキナの尽力で 子グユクがハーン位に就くが、元来病弱な上に酒などの不摂生により短命で死去する。バトゥは西方遠征でオーストリアハンガリーセルビアを席捲した。バトゥはその遠征により実力をつけ、その封地ジュチウルスで、サライを国都と定めるなど、事実上独立国家を持つようになり(キプチャク=ハン国)、それまでのウルス(領地)が徐々にハーンを持つ国となっていく。

チンギス=ハーンの末子トゥルイの長男モンケはハーン位に、次男フビライは長兄モンケから疎まれることもあったが、伐宋軍を率いることとなり、三男フラグは西方遠征へ、末弟アリクブカは首都カラコルムの留守役となった。モンケは伐宋戦の最中に病没、末子相続の習慣のあるモンゴルでは、カラコルムにおいてアリクブカを推戴する動きが起った。しかし、実力をもつフビライは自らハーン位に就く。一方、フラグはペルシアで自立し、イル=ハーン国を建国。突如南に国ができたキプチャク=ハーン国とイル=ハーン国の間では、国境をめぐる争いが勃発。東方では雲南、大理、チベット、ヴェトナムにまで遠征し、支配領域を拡大させた。