カシ家

オゴタイの子カシの子孫にはカイドゥがいます。カイドゥの死後、兄弟間の相続の泥沼化でオゴタイ家は没落していってしまいます。

オゴデイ
 ├カシ 
   └カイドゥ
     ├チャパル
     ├オロス
     └サバン

カイドゥ:オゴタイ=ハン国のハーン。オゴタイ=ハーンの孫で漢語では「海都」と書かれる。

トゥルイ家の大ハーン位奪取以来、不遇な立場にあったオゴタイ家において才覚を現しその実質的指導者となり、フビライとアリクブカの帝位継承戦争で後者について以来公然とフビライに反抗した。アリクブカの敗北後はフビライの宗主権に否定的なキプチャク・チャガタイ両ハン国との提携を図り1269年にタラス河畔で会盟しオゴタイ家の復権を認めさせた。チャガタイ家のボラクイル=ハン国との対決に惨敗するとこれを殺しチャガタイ家の内紛に介入し中央アジアを制圧、フビライの政策に不満をもつモンゴル貴族を逐次引き入れて一大勢力を確立した。以後30年に渡りモンゴル帝国の中心部にあって絶えずフビライ元朝の背後を脅かし元朝の東方進出を牽制した。

戦略面でも優れた先見性を持ち、76年のシリギの反乱に対してはその自滅を予測して提携を避ける一方、フビライの日本遠征に不満を持つ東方三王家を示唆して87年にナヤンの乱を誘発、これに提携してカラコルム攻略を図った。これはフビライ政権の最大の危機といわれたがナヤンはフビライの果断な軍略の前に敗死、カラコルム攻略も名将バヤンに阻止されハイドゥは最大のチャンスを逸したのである。

自身の「中央アジア王国」だけでは元朝に及び得ないことを悟りフビライが没するまで対立を続けつつも自重したが、フビライ没後にハイドゥを支持した亡命貴族に元朝帰順の動きが現れたため自己の勢力圏の自壊を避けるため元朝との対決を急ぎざるを得なくなり、1301年にオゴタイ・チャガタイ家の軍勢をもって大挙して元朝領内に侵攻するもカラコルムタミール河間の会戦で大敗し、その時の戦傷がもとで病没した(「激動ユーラシア」)。

チャパル:オゴタイ=ハン国の最後のハーン。ハイドゥの庶長子。漢語では「察八児」と書く。

ハイドゥ没後、チャガタイ家ののドゥアに擁立されてオゴタイ家を継承、彼の主導で元朝と講和した。その後ハイドゥ自身が後継者に指名していた嫡弟・オロスと抗争しオゴタイ家を弱体化させた上1306年にはドゥアと元朝の攻撃に遭い所領を奪われた。これをもってオゴタイ=ハン国は滅亡したのである。その後ドゥア没後のチャガタイ=ハン国の混乱に乗じて挙兵するも敗退、1308年に元朝に亡命し蔡州の一諸侯として生涯を終えた(「激動ユーラシア」)。

オロス:オゴタイ=ハン国の王族。ハイドゥの子。ハイドゥは没前に彼を後継者に指名するが、チャガタイ=ハン国のドゥアの介入によって異母兄チャパルが王位を継いだ。そのため、国内はチャパル派とオロス派に分裂し、ドゥアが付け入る隙を生み出した。その後、タリク没後のチャガタイ=ハン国の混乱に乗じて兄チャパルとともに進軍するが、ケベクに敗退した(蒼き狼と白き牝鹿・未登場人物伝)。

サバン:オゴタイ=ハン国の王族。ハイドゥの子。アム河上流域のオルドを統率する。ハイドゥの死後、オゴタイ家の弱体化を図るドゥアは、サバンの部下としてこの地に駐屯していた息子クチュルク=ホージャが亡くなると、サバンに無断で子エセン=ブカを配置することによってサバンを挑発する。ドゥアの越権行為に激怒したサバンはクチュルク=ホージャの陣営を攻撃し一時的に勝利を収めるが、最後にはエセン=ブカの軍に敗れ、一族を伴ってイル=ハン国に亡命した(蒼き狼と白き牝鹿・未登場人物伝)。