鎮西奉行

東北が「奥州総奉行」なら、九州は「鎮西奉行」ですね。初代鎮西奉行は天野遠景で1185年に任じられています。遠景の後は中原親能武藤資頼・資能が継いでいます。Wikipediaには、以下のように説明があります。

1185年(文治元年)、源頼朝が天野遠景をこの職に任じて、鎮西(九州)の御家人の指揮統制にあたらせたのが始まり。平家の残党及び源義経一党らの追捕がもともとの任務であったが、その後全九州の御家人の統轄にあたるようになり、太宰府の機能も継承した。

頼朝は、1180年(治承4)に鎌倉に侍所を置き御家人を統制した。さらに1185年には、義経の追捕を理由に、各国へ守護(軍事・警察権などを持つ)や地頭(荘園・公領の管理など徴税権を持つ)を設置し、全国の支配権を確立した。とくに京都守護には京都の治安と朝廷の監視にあたらせ、九州には鎮西奉行、奥州には奥州総奉行を設置して武家政治の基礎を確立した。遠景の後は中原親能武藤資頼が継いだ。しかし九州諸国に守護が設置されたことや、元寇の後、鎮西探題が置かれるようになり、その機能・権限は著しく低下した。

九州地方の御家人の活動については以下のような文献があるそうです。図書館に行って調べてみます。