ビザンツ帝国年表

ビザンツ帝国の年表をまとめてみました。参考にしたサイトはいくつかあるのですが代表的なところは「The Purple Chamber」と「日本人の魂ここにあり!!(嘘)」と「激動ユーラシア」です。ビザンツ帝国は1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノープル占領から歴史イベント続きで新政権の樹立や消滅を繰り返していて複雑です。一番の問題は十字軍の扱いとラテン帝国の成立でしょうか。フランドル伯ボードゥアン1世をどうやってラテン帝国の皇帝にするかということです。

1203 ビザンツ王子アレクシオス、第4次十字軍の協力を得てアレクシオス3世
   を追放。 
1204 ビザンツ帝国で内乱、アレクシオス4世とイサキオス2世が殺害される。
   ヴェネツィア、第4回十字軍に参加しコンスタンティノープルを占領。
     クレタ島など獲得。ビザンツ帝国滅亡。
     ラテン帝国が建設され、フランドル伯ボードゥアン1世が初代皇帝となる。
     イタリア人トマス・モロシーニ、コンスタンティノープル総主教に任命。
     東ローマ側は旧帝国領の各地に亡命政権を立てて抵抗。
1205 ラテン帝国、ブルガリアに大敗しボードゥアン1世が戦死。アンリ1世が後継。
     テオドルス=ラスカリスがニケーアに亡命政権を樹立。
1206 ラテン帝国アンリが即位。
1208 ニカイアにてミカエル・アウトリアノス、総主教に任命。
     テオドロス1世ラスカリス、ニカイアで戴冠。
1211 テオドロス1世、マイアンドロス河畔の戦いでルーム=セルジューク朝を破る。
1214 ニカイアとラテン帝国、講和し国境確定。 
1215 エピロスのテオドロス・ドゥカス、皇帝を名乗る。
1217 ラテン皇帝ピエール、アルバニアにてエピロスに捕らえられる。 
1219 ニカイア帝国ヴェネチアと通商条約を結ぶ。
1221 ラテン帝国ロベール・クルトネーが皇帝を名乗る。
1222 ヨアンネス3世ヴァタツェスがニケーア皇帝となる。 
     アンドロニコス1世がトレビゾンド皇帝となる。
1224 エピロスのテオドロス・アンゲロス、皇帝を名乗り、コンスタンティノープル
     に迫る。
     エピロス、テッサロニケを占領。テッサロニケ王国滅亡。
     テオドロス・ドゥカス、皇帝を称す。テッサロニケ帝国。 
1227 テオドロス・ドゥカス、テッサロニケで戴冠。 
1228 ボードゥアン2世がラテン皇帝となる。 
1230 エピロス、クロコトニッツァでブルガリアに敗北。首都奪回の夢が潰える。
     マヌエルがテッサロニケ皇帝となる。
1231 テッサロニケ帝国からエピロス分離(ミカエル2世)。 
1235 ニカイア=ブルガリア同盟。 
   ヨハネス1世がトレビゾンド皇帝となる。
1236 ニカイア=ブルガリア連合軍、コンスタンティノープルを包囲。
1237 ヨハネスがテッサロニケ皇帝となる。
1238 マヌエル1世がトレビゾンド皇帝となる。
1240年代 ニカイア帝国がエピロスとブルガリアを破り、バルカン半島に勢力を拡大。
1244 デメトリオスがテッサロニケ皇帝となる。
1246 ニケーア皇帝ヨアンネス3世がブルガリアを破り、バルカンに領土を拡張。 
   ニカイア、テッサロニケを占領し、テッサロニケ帝国滅亡。
1254 ニケーア皇帝ヨアンネス3世が没する。テオドロス2世が継承。
1258 ヴェネツィアジェノヴァと激突。以後4度にわたる戦役に。
   ヨハネス4世がニケーア皇帝となる。
1259 ニカイア帝国で、ミカエル・パライオロゴスがヨハネス4世ラスカリスの
     共同皇帝となる。
     ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がエピロス・シチリア・アカイア連合軍
     を撃破する。
1261 ニカイア、ジェノヴァとの通商条約。
     ニカイア帝国コンスタンティノープルを占領し、ビザンティン帝国復活。
     ミカエル・パライオロゴス、ヨハネス4世を追放して単独皇帝となり、
     パライオロゴス朝を創始。
1262 ビザンツ皇帝ミカエル8世、モレア(ペロポネソス半島)を獲得。
1263 ビザンツ皇帝ミカエル8世、ブルガリアから黒海沿岸の諸都市を奪う。
1274 第2回リヨン公会議。東西教会の合同を決議(実施されず)。
1282 シチリアの晩鐘。ラテン帝国再興を目論むシチリア王シャルル・ダンジューに
     対し、ミカエル8世の支援を受けたアラゴン王国が反乱を扇動。シチリアアラゴン領となる。
     ビザンツ皇帝ミカエル8世が没し、アンドロニコス2世が後継。
1283 アンドロニコス2世、東西教会の合同を取り消す。

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