マンガラ家・ノムガン家

あー、失策です。今まで入力した数多いモンゴル一族を眺めてたら、フビライの子孫を途中でやめてたことに気がつきました。フビライの三男マンガラと四男ノムガンの家系について調べてみました。系図は「華蛙蜜兎 The 蒙古秘史」に準拠してます。人気blogランキングへ

トゥルイ
 ┗フビライ
   ┣マンガラ
   ┃ ┣アルタン=ブカ
   ┃ ┗アナンダ
   ┃   ┗ウルク=テムル
   ┣ノムガン

Wikipediaによると、三男マンガラは元朝成立後、1272年に安西王に封ぜられています。その即位以前の所領であった京兆(長安)を与えられ、河西、天山方面を担当。オゴデイ家一門のコデン王家やチャガタイ家一門のチュベイ王家を統括していました。1280年に没し、安西王は次男アナンダが継ぎましたが、のちにアナンダはハーン位を巡る争いに関わって処刑され、マンガラの安西王国は取り潰されてしまった。しかし「華蛙蜜兎 The 蒙古秘史」では、第2代安西王アナンダの子ウルク=テムルが継いでいます。どちらが正しいのか、『元朝秘史』を読み直さないといけなそうです。

四男ノムガンは1266年に北平王を与えられて、モンゴル高原に駐留、高原における全遊牧民軍団の兵馬を統括していました。旧都カラコルム近郊の牧地を遊牧移動し、チンギス・ハーンの四大オルドで執り行われるチンギス・ハーンの祭祀を管理したそうです。ノムガンに子はなかったので北安王家は一代で断絶し、1291年に晋王に封ぜられた甥のカマラに引き継がれています。

資料収集中の「蒼き狼1271『蒼き狼の末裔』」では広大なフビライ王家を諸子に分割して諸王家を配置することになりそうです。