琉球とモンゴル

掲示板を眺めていたら、以下のような書き込みを見つけました。元朝の末裔が琉球に流されたというのは本当なのでしょうか?いずれ14世紀のシナリオを作るとして、滅ぼされた元朝琉球で再起を図るというIFイベントを作ってみるのも面白いですね。

13世紀頃にユーラシア大陸を席巻した史上最大の帝国・モンゴル帝国のうち、クビライが建てた大元ウルス(ウルスはモンゴル語で国)は1368年、明の朱元璋によって滅ぼされます。その時、明は元朝皇帝の次男と妃・娘を生け捕りにしましたが、彼らが沖縄に追放された事実はあまり知られていません。

元朝皇帝の次男の名前は「地保奴(ティポヌ)」。元朝17代天元帝(ウスハル・ハーン)の次男です。捕らえられた地保奴らは当時の首都であった南京に送られます。明皇帝の太祖は元がかつて良い政治も行ったことを考えて、その子孫である地保奴を殺すことは止めました。しかし国内においておくのもどんなものだろうかということで、多くの資財を与えて琉球に送った、と明朝の記録『明実録』にあります。

『明実録』の記事は単なる伝承などではなく、当時の出来事を正確に記録したものですから、元朝皇帝次男の琉球への追放はほぼまちがいない事実と考えられます。

Wikipedia「天元帝」を調べてみたら、「トグス・テムルはカラコルムを目指して落ち延びたが、途中で高原西部に勢力を持つアリクブケ系統の王族・イェスデルの襲撃を受け、残軍もほとんど壊滅してしまった。トグス・テムルはわずか16騎とともに辛くも逃げ延びたものの、大雪に阻まれてカラコルムにたどり着けないでいるうちにイェスデルの軍に追いつかれて捕らえられ、ついに殺害された。トグス・テムルには二人の男子がいたが、長男の天保奴(ティポヌ)は父とともに殺害され、ブイル・ノールで捕虜となった次男の地保奴(ティボヌ)は明によって琉球に流されたため、北元のクビライ王統はここに一旦断絶した。」とありますね。もしかして、琉球って今の台湾のことかな?